ニューヨーク・タイムズ紙のホロヴィッツ追悼記事から(2)

このブログはニューヨーク・タイムズ紙がホロヴィッツの死後に掲載したお悔やみ記事の内容を紹介ししています。第2回めです。第1回目はこちらからお読み下さい。またニューヨーク・タイムズの原文はこちらにあります。

Vladimir Horowitz: Thunder, Lightning and Awe
http://www.nytimes.com/1989/11/12/arts/vladimir-horowitz-thunder-lightning-and-awe.html

ホロヴィッツのレパートリーは広大だったようで、若いころはものすごい数の曲を演奏したこともあるようですが、コンサートで好んで採り上げられた曲はそのうちのごく一部、限られたものでした。そして齢を重ねるうちに、さらに演奏される曲目は減って行きました。

最近、晩年のコンサートでの録音もリリースされていますが、だいたい曲目は同じです。またラフマニノフのピアノ協奏曲。これは全部で5曲ありますが、ホロヴィッツの録音は常に第3番です。私の間違いでなければ、第3番の録音しか残っていないと思います。

さて、昨日、譜読みの能力の凄さについて記しました。自宅ではどんな曲を弾いていたのか、気になりませんか?え、ならない?・・・実際にホロヴィッツの自宅で聞いた証人、ショーンバーグによると、以下のようになります。

He had much of the entire active repertory in his fingers. In public he never played more than about a half-dozen of the Beethoven sonatas, but at home he would sit at the piano, playing, from memory of course, one of the early sonatas, or Op. 111, or sections of the ”Hammerklavier.”

ホロヴィッツはいつでも全曲を演奏できるというレパートリーを非常に沢山持っていたが、実際のコンサートで弾いたのは非常に少なく、ベートーヴェンのソナタは6曲前後しか弾かなかった。しかし、もちろん楽譜を見ずに初期のソナタを弾けたのみならず、作品111(第32番、最後のソナタ)全曲や、ハンマークラヴィーアの一部も弾いてみせたことがある。

ホロヴィッツがベートーヴェンの第32番とか、ハンマークラヴィーアを弾くといったいどういうことになるのでしょう。気になります。また私もこれとは別に「ホロヴィッツの思い出」という映像作品の中で、ホロヴィッツが一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、ラフマニノフの協奏曲第2番のパッセージを演奏しているのを聴いたことがあります。

その時、一緒に見ていた学生時代の友人とうおお、ラフ2!と意味もなく興奮したことを覚えております。もうあれは一体、何年前の話なんだろう・・・。時はたち、私達の顔にもシワがしわしわとしわしわしています。

・・・気を取り直して・・ピアニストは・・・常に広大なレパートリーを持ち続け、それらを切磋琢磨させなければいけません。それによって広く深く音楽を理解できるということもあるでしょう。今夜は劇的に眠いのでもう寝ます。いい子のみなさんも早く寝ましょう。早寝早起き、腹八分。