全曲演奏会はもっと少なくてもよいのでは?

最近、クラシックの音楽会に「全曲演奏会」が増加しているように思います。

クラシック音楽のお客さんは減っていると言われています。さらには聴衆も好みが細分化していたり、コンサートの開催数の強烈なまでに多かったりと、人が分散してしまい客席が埋まりにくくなっている。実際、雑誌「ぶらあぼ」などを見ていますと、東京のいまの音楽会の数には目が白黒します。

たとえば、そのぶらあぼに公演検索ページがありますが、2016年11月1日に東京でやっているコンサートという条件で検索すると、24公演もヒットします(載っていない公演もあるでしょうから実際にはもう少し多いはず)。

こんなにたくさんやっているのなら、人が来なくてもしょうがないか・・・。

いや、それではいけない、ということで、みなが知恵を絞ってどういう企画なら人が集まるのか、ということを考えている。その一つの回答が、全曲演奏会でしょう。ピアノですと、ベートーヴェンのピアノ曲全曲演奏会というのがもっともポピュラーでしょうか。

日本人は幸か不幸か、コレクションが好きです。自宅の、丁寧に並んだCDラックが実は密かな自慢、という方も少なく無いと思います。そういう方たちにとって、全曲演奏会というのは、コレクション趣味を満足させるたぐいのものです。全曲と聞いただけでムラムラとやる気が沸き起こるかもしれません。

もちろん私は全曲演奏会を否定するわけではありません。全曲演奏会は山登りのように、楽しい時もあり辛い時もあるが(というのはつまり曲の出来不出来や、演奏の出来不出来ですね。)、登り切った時の満足感は非常に高いからです。

でも登るべき山がちょっと増えすぎてはいないかな?と、少しだけ心配しています。来年も、大きなところではシュターツカペレ・ベルリン&バレンボイムのブルックナー全曲演奏会、あるいはベルリン・フィル&ラトルのベートーヴェン全曲演奏会が東京で予定されています。確かに面白そうな気もしますが、チケット代金はどちらもセット券は20万円を越すものすごい高額です。困った。とりあえず寝ましょう。グー。寝た。

猫も杓子も全曲演奏会、ということになると、なんだかそれはそれでちょっとばかり退屈な気がして来ますがそんなことはないでしょうか。

日本のクラシック音楽の演奏会には、そろそろ全曲演奏会に代わる面白い公演が求められるのではないかな、と思います。それが何なのかは、すぐには思い浮かばないのですけれども。