クラシック音楽における新録音とは

クラシック音楽って、書かれている音符はほとんど変わりがなくて、それをもとにいろんな人が演奏してきたわけですが、それを録音してまたリリースすることの意味って、現代においてどういう意味があるのでしょうか。

いろんな考えがあるんですが、録音とは、「気合を入れて世界最高の録音を目指したもの」というより「その人のその瞬間を切り取ったポートレート写真のようなもの」という考えが一番しっくりするような気が(個人的には)しています。

ポートレート写真、すなわち個人の思い出のようなもので、世界のファンに向け大々的に発信するというよりも、フレームに入れて壁や棚の上にでも飾っておくようなもの、でしょうか。(もちろんそういうものがほしい!というファンの方もおられるでしょう)だからこそ、多くの人がCD製作でお金をもらうのではなく、お金を払っている。そういう風に変わってきている。

有名になりたいと思う人がCDを作っていろいろな音楽祭、オーケストラマネージャー、コンサート主催者などに送るケースもありますが、それはもはやあまり重視されないようにも思うのです。CDが出せるなんてすごいや!という時代ではもう全くない。

昔は写真もわざわざ現像してもらわないといけなかったけど、今や手軽にだれでもスマホで撮れて、フォトショップでいくらでも加工ができる。それとおなじで録音ももっと手軽になった。誰でも録音ができて、簡単に加工ができるのです。どんなに腕がよろしくなくても、かなりのレベルで加工ができるのです。便利。

そのため、というかなんというか、あくまで個人的な意見ですが、加工されたCD音源を聞いても、判断できないと思っています。実際は全然違うというケースも多いので、CDを聞くのではなく、なるべく生の音(コンサート)を聞きたい。生が難しければYouTubeなどの音源。

YouTubeは全くだめ、音も悪いしその人の最悪の状態の時を切り取っている場合もある、という人もいます。たしかに。それでも、CDよりも生の姿には近いのではないかと想像します。CDを聴いて、あ、よさそう、と思った人でも、実際にコンサートで聴いてみてがっくし、というケースも結構ありますからね。いや、もちろんその逆もあるから面白いんですけど。あ、どっちもどっちということか。

とりあえず録音の技術をパロディー化してみせた映像でも見て、一緒にまたいろいろと考えて行きましょう。

映像のタイトルは「1%のヴァイオリンの才能、99%の編集技術」。