ネルソン・フレイレを褒めてみる日

ネルソン提督、という愛称で呼ばれるネルソン・フレイレですが(半分ぐらい嘘です)、本家の提督が日本でも高い人気を誇るのに対し、ピアニストのネルソンはそこまで人気がない。どこまで行ってもアルゲリッチの手下?ぐらいにしか思われていない。それが残念でならないと常々思っています。

かくいう私も20代半ばまでそのように思っていたことは内緒だ。そんな虚け者の私の目が開かれたのは、ケンペと録音したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の録音を聴いたときですね。あまりの素晴らしさにあっと息をのんだわけ。(なんてナイーブな20代の私・・・)

ネルソン・フレイレの美点はその繊細な叙情性、飾らぬ演奏、そしてあのぶっとい指から放たれる野太い美音。これであります。指は太いからもちろんアルゲリッチのような敏捷性には劣りますが、どこまでもほっとするような音楽作りなのであります。

例えばこの録音。冒頭のバッハ編曲マルチェルロのオーボエ協奏曲を聴いてご覧なさい。ピアノ演奏かくあるべしと言いたくなるような素晴らしくしっとりした仕上がりでございます。何と美しいのでしょう。しかもこの録音は僅かに22歳か23歳のときのものでございます。なんという成熟。なんという落ち着き。

これを聴いてから、そうだね、たとえばアレクサンドル・タローの青っ白く不健康な演奏なんて聴いてご覧なさい、ああ、って絶望して頭をかかえてすぐに停止ボタンを押してしまうから(ごめんタローちゃん。会ったこともないのにタローちゃんとか言ってごめんなさい)。

このように素晴らしいピアニストなのにどうして日本では評価が上がっていかないのだ。残念だ。さあみんなでフレイレをよいしょして行きましょう。

これは1980年のシェパン・エチュード。ちょっと乱暴だが許そう(偉そう)。

これは2017年のシューマン協奏曲:まだまだ、めちゃ弾けるぜ!見なさいよびしっと腰から決まって演奏中全くぶれないボディ、そして奇妙な「くねくね懊悩顔」の一切ない男らしい顔つきを。