【ピアノの技術2】スタッカートの技術

スタッカート、どういう意味でしょう。ほとんどの方はお分かりだと思いますが一応、コトバンクによりますと

音楽用語。音と音とを続けないで分離して奏する演奏法で,レガート (切れ目なくなめらかに演奏すること) に対立する言葉。音符上に円点あるいは垂点 (ダッシュ) を記すことによって表わされる。円点の場合には,普通,本来の音価の2分の1になり,垂点の場合にはもっと短く鋭く奏される。

とあります。

コトバンク: https://kotobank.jp/word/スタッカート-83950

とりあえず聴いてみようや。ストラヴィンスキーのペトルーシュカ。ユジャ・ワンで。最初の10秒でいいです。

映像がある方がいいかなと思ってユジャ・ワンにしましたが、冒頭の和音連打で一番切れ味がよかったのはポリーニでしたね。実は楽譜にはスタッカートは書かれていませんが、レガートではなく、スタッカートで弾くのが普通。というかこの和音連打は「レガートで美しくメロディーラインを強調して」いては絶対に弾けません。

ちょっと関係ない話ですが、スタッカートについて最近、興味深いバレンボイムのインタビューを読みました。オペラ・エクスプレスというサイトに掲載さいれていたインタビューです。日本ワーグナー協会特別例会でのトークが掲載されていました。全体的に面白かったですが、スタッカートのことについて一瞬だけ触れられていました。

トークの中では、スタッカートという言葉そのものを深く掘り下げているわけではなくて、イタリア語の意味を考える、というくくりの中での発言ですが、スタッカートを本来の音を「分ける」という意味であるということを理解している職業音楽家はいない、というものでした。

もちろんちゃんと理解している音楽家もいるでしょうが、多くはないということがバレンボイムの主張です。これにかぎらず、イタリア語の意味をもっと理解してほしいということでした。

バレンボイムが言うと急に説得力が増すから不思議だ。なんでだろう。なぜならバレンボイムは権威だからです。

同じことをペコちゃんやポコちゃんが口走っても誰もいうことを聞かないでしょう。うん、イタリア語、明日から勉強しよう。「イタリア語は、明日から」。グラッチェとかプレーゴとか、ウンエスプレッソペルファボーレとか言っている場合ではありません。

それでスタッカートです。スタッカートを使って音を「分ける」と、いったいどういうことになるでしょう。音楽に活気が出ます。

日本人は跳ねるとか跳ね上がるリズムが得意ではありませんが、スタッカートを使って跳ねるように演奏する技術は、活き活きとしたリズムを演出する上で欠かせません。ぜひ若手の皆様にもっと跳ね上がるようなリズムを習得してほしいです。

ピアノとは「ハンマーが弦を叩いて音を出す」いわゆる打楽器的な要素を持っている楽器ですが、その打楽器的な要素が強調される、それがスタッカートです。弦楽器ですとスタッカートは簡単ではありませんが、ピアノなら簡単!

ひっかくにように弾く、とか、技術的なことを言い出しますといろいろとありますけれど、スタッカートであろうとなかろうと、ぴしっぴしっとリズムが際立っていることは重要です。

話がずれていきました。ところで、あまりスタッカートが過ぎるとどうなるでしょう。今度は落ち着きがなくなったり、逆に変化に乏しくなります。注意が必要です。

わざとスタッカート過剰にして弾く人もいます。ムストネンです。ムストネンはスタッカートを語る時、最良の例として採り上げられるべきピアニストでしょう。この人の独特のスタッカート多用主義(ただし本人はふざけているわけでもなんでもなく、極めて真面目にやっているのだと思います)は大変分かりやすい。

動画を見てみましょう。まずプロコフィエフの協奏曲の第3番。

「引っ掻く」という言葉がぴったりです。腕が跳ね上がっているでしょう?跳ね上がるのは作為でもなんでもなくて、ほんとうに腕がぽーんと高く上がるんです。リバウンドという言葉がありますが、これはまさにリバウンド。日本人のピアニストもこの跳ね上がる感覚はもっと養う必要があると思います。ここまでスタッカートで弾かなくてもいいけど。

ついでにバルトークの協奏曲第1番も演奏を貼っておきます。まずはバヴゼ。2分も聴けばいいです。うまいな。バルトークの野趣の中に何か気品が浮かんでくるようだ。

その後にムストネンを聴いてください。

ムストネンのスタッカートは実に過剰だ。これを面白いと思えるか思えないか、そこにムストネンの演奏をいいと思うかどうか、の判断の分かれ目。

最後におさらい:スタッカートはピアノの演奏にリズム感を際立たせる、活き活きとさせるスパイスのようなもの。ただし多用し過ぎると却って単調になる危険もはらむ、諸刃の剣。