コンクールに参加することの意味はあるのか、アシュケナージ編

アシュケナージとコンクールの関係は容易ではありません。ソ連の代表として国家の威信をかけショパンコンクール、チャイコフスキーコンクールに参加しておきながらなんとショパンコンクールで二位!チャイコフスキーでも一位をオグドンと分け合うと言う辛酸をなめ、立場がまずいことになったとかならないとか。

そのアシュケナージに、コンクールに参加することは意味があるか、と聞いてみた答えが以下のとおり。

「意味はある」

「本当に才能があって、コンクールで優勝(入賞)すれば、キャリアをスタートさせることができる」というのがアシュケナージの考え。才能というのは「肉体的才能、技術的才能、精神的な才能」を指します。

この全てが揃っていれば「コンクールに優勝したからではなく、その天与の才能によって、将来のキャリアを築くことができるでしょう」

「こういう本当に才能のある人も、コンクールに落ちることもあるが、やがては素晴らしいキャリアを築くことが出来るのです。そうでない理由で、つまり技術的な才能だけで、あるいは他の参加者よりもましだった、というような理由で優勝した人は、その後数年はいいかもしれないが、やがて消え去って行くでしょう。」

コンクールに優勝したから有名になっていくのではない、という表現がいいなと思いました。つまり「才能は世の中が放っておかない」と言うことです。逆もまた然りで、才能がなければどんなに頑張っても世の中に相手にされません。

素晴らしい例としてヴァン・クライバーンの名前をアシュケナージが挙げているところがまた興味深い。彼はすべてを持ち合わせていて、優勝後のキャリアも輝かしいものだった、と言っています。アシュケナージは政治的なポジショントークを好まない人なので、心からそう思っているのだと思います。興味深い。

アシュケナージのインタビュー動画は以下URLです
http://www.classicfm.com/artists/vladimir-ashkenazy/practise-tips-advice/
俺が有名になれないのは世の中が間違っているからだ!と恨み節を言う人もいますが、本当に才能があれば、放ってはおかれないでしょう。そういうものなのです。

才能とは、残酷です。ほとんどの人にはずば抜けた才能は無い。だからこそ本当の才能が輝くんです。ピアニストを目指す人は、それを知ることもまた大事。