かつてグールドが赤ちゃんだったとき。

グレン・グールドが赤ちゃんだったときって、想像がつきますか。想像つかないですよね。でもにんげんだもの、誰しも赤ちゃんのときはあったわけだ。そしてヴォルテールとかそういう人の時代と違い、写真というものがありますから、グールドの赤ちゃんのときの写真もあるわけです。グールドが赤ちゃんってなかなか想像つかないですよね。でもちゃんとこうやって残っているのだから、やっぱりグールドも赤ちゃんだったのだ。これ。祖母とグレン・グールド。

この頃はまだ屁理屈をこねくり回す、時として(あるいはしばしば?)ムカつく、電話魔のおっさんでは全くなかったわけです。ピュアに、寝返りを打つために頑張ったり、立ち上がろうと真剣に努力したり、そういう時代だったわけだ。ああ、その日はもう、帰ってこない(当たり前)。

現代っ子なら、スマホ&Googleフォトとかクラウドに保存すればほぼほぼ取り放題なんで、死ぬほど写真があると思うんですけれど、グールドの時代はまだまだ、モノクロフィルムで、ちゃんと現像しないといけない頃だったんですよ。

フィルムを知らない世代・・・ってまだ10年ぐらいですかね。昔はフィルムを現像して初めて撮った写真がみられたんだよ。カメラのキタムラとか行ってね、1週間とか待たされたんだよ。(突如として自分の経験を話し出すやつ)。でも、いまは10歳前後以下の子どもたちは写真はほぼすべてデジカメ。というかスマホ。カメラにこだわりのあるご家族でない限り。スマホでオッケー。いまやスマホでもボケ味の出た味わいのある写真も撮れるよね。Pixel 3触ってみたいよ。

それはともかく、昔は写真は今よりもずっと、意識して撮ったんですよね。フィルムの1枚も無駄にすることなく、アングルとか服装とか髪型とかそういうものを考えて撮った。それは特別な時間だったと思うのです。そして現像して、一体どういう写真ができてくるか、どきどきしながら待つ。現像もすぐできるわけではないですし。今はインスタントですぐに写真見れますし、そういうものがなくなってしまったから、写真一枚一枚が持つオーラと言うか、魂のようなものは生まれにくくなってしまいました。

このグールドのおばあちゃんとの写真も、意識して、考えられて、撮られている感じがしますね。やがてグールドが人工的に構築したスタジオ録音に没頭していくことを暗示しているかのようだ。

これは手袋のグールド。自意識高いっすよねー。

いやー、グールドの写真で何をこんなに暑くなっているのでしょうか。グールドと言えばバッハとかいろいろ聴きましたけど、今日は天気もよろしくないし、スクリャービンとかどうですか。